[御殿場の由来]御殿について

御殿(御殿場)

解説

御殿場という地名の由来は、徳川家康が最晩年に市内御殿場の地、現在の吾妻神社から県立御殿場高等学校付近に隠居所となる御殿の造営を命じたことに由来します。この御殿は徳川家康の存命中には完成せず、残念ながら徳川実紀などの記録にも登場しません。

しかし、徳川家康が亡くなった直後の元和2年(1616)4月に沼津代官の長野九左衛門清定が、御厨地方の有力者であった芹澤将監(しょうげん)に御殿新町御屋敷の造営を継続するよう命じた書状の写しが残されています。

その後の御殿については、徳川家や江戸幕府が使用した記録がなく不明ですが、小田原藩が寛永10年(1633)に御厨地域を領地に編入した後、この御殿は修理され藩主の稲葉氏が巡検や鷹狩りの際に度々使用したことが分かっています。

この御殿も、貞享3年(1686)に小田原藩主が大久保家に代わった際に取り壊され、現在は吾妻神社付近にわずかに土塁が残るのみとなっています。

 

御厨(みくりや)

解説

東名高速道路御殿場インターチェンジ周辺には、かつて広大な沼地が存在し、中世には「大沼」と呼ばれていたようです。御厨(みくりや)とは伊勢神宮の荘園を指す言葉ですが、当時、御殿場周辺も御厨であったことから当地は「大沼(おおぬま)鮎沢(あゆざわ)御厨(みくりや)」と呼ばれていました。

御殿場インターチェンジ付近に残されている便船塚(びんせんづか)という地名は、中世に船でこの大沼を渡ったことに由来すると伝えられています。大沼鮎沢御厨は、市内東田中(沓間)の神明宮辺りに中心があったと思われ、大森氏一族が支配していたと推定されています。

大沼は次第に水が退き、時代の変遷と共に荘園は無くなりましたが、御厨の名は御殿場市、小山町、裾野市の一部にまたがる広域の地域を示す呼び名として、現代まで引き継がれています。

問い合わせ
御殿場市 教育部 社会教育課 
TEL:0550-82-0339
mail:shakyo@city.gotemba.lg.jp

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