[教育者]冨原義徳

冨原義徳(ふはらよしのり)教育者、文学者

解説

冨原義徳は、市内御殿場の仲町にあった真教寺(浄土真宗)の住職冨原芳含の長男として、明治26年(1893)に生まれました。静岡師範学校卒業後、高根小学校、印野小学校を経て大正11年(1922)に原里小学校へ赴任しました。

この頃より詩の創作に精通し、その作品は北原白秋にも認められています。原里小学校で国語研究会を開催した折、児童作文集を編集し参加者に配布したことが契機となり、駿東郡全体の児童の作品集『文苑』が発行されました。これが現在まで続く『駿東文園』の始まりであり、冨原義徳は駿東文園の生みの親といえます。

その後、都内の小学校に勤務するが第二次世界大戦終戦後に御殿場へ戻り、請われて昭和23年(1948)に御殿場中学校で教壇に復帰しましたが、昭和25年(1950)に授業中に倒れ亡くなりました。墓碑には「そよげども 音なき稗の 一穂かな」の句が刻まれています。童謡作家の冨原薫は弟です。

問い合わせ
御殿場市 教育部 社会教育課 
TEL:0550-82-4319
mail:shakyo@city.gotemba.lg.jp
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