[国重要文化財]手焙形土器(昭和48年(1973)6月6日指定)

解説

弥生時代末の土器。手焙形の名は、小型の火鉢(手焙り)に形が似ていることに由来します。

大正11年(1922)に現在の駿東郡小山町須走字西沢で、水路を通すための隧道工事中に地下約3.6mから発見されました。発見当時、旧須走村と旧高根村(御殿場市内の現在の高根地区)は組合村を作って行政事務を行っており、この土器は昭和16年(1941)に高根村を所有者として国重要美術品に認定されました。

その後、昭和31年(1956)に両村が組合村を解消した際に旧高根村へ引き継がれ、旧高根村が御殿場市と合併した後、昭和48年(1973)に御殿場市を所有者として国重要文化財の指定を受け、現在に至ります。

富士山の裾野、火山噴出物に覆われた標高約750mの高地に位置し、一般的な集落を営むには厳しい立地条件であることから、祭祀に伴う遺物であると推定されます。

問い合わせ
御殿場市 教育部 社会教育課 
TEL:0550-82-4319
mail:shakyo@city.gotemba.lg.jp
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