[阿部雲]博物館資料

概要

阿部正直博士(人物の項目参照)は、昭和初期に当時の御殿場町新橋(野中)と富士岡村沼田(諸久保)にまたがる地域に私設の阿部雲気流研究所を設け、さらに阿部雲気流博物館を構え、富士山周辺の雲と気流の研究に情熱を傾けました。

昭和20年(1945)8月に第二次世界大戦が終わり、戦後の新憲法下において正直博士を取り巻く環境も激変し、昭和23年(1948)に研究所は閉じられ、博物館のみが留守番の手により開放されてきた。昭和41年(1966)1月に正直博士が亡くなりますが、同年3月に富士山御殿場口で発生した英国BOAC機墜落事故では、奇しくも正直博士の長年の研究が一躍注目されることとなった。

昭和43年(1969)に博物館が閉鎖されることとなり、御殿場市は正直博士のご遺族と覚書を結び阿部雲気流博物館資料という名前の130点余りの資料群が御殿場市へ寄託されました。これら資料は平成25年(2013)にご遺族から御殿場市に寄贈され、現在は富士山樹空の森に収蔵・展示されています。

立体写真箱

解説

立体写真箱は、阿部雲気流博物館に展示されていたものです。のぞき窓のついた木製の箱の中には、一見同じ写真に見える2枚の雲の写真(ガラス乾板)が取り付けられています。実は、これら写真は同じ雲を離れた場所から同時に撮影したもので、立体写真箱を使うことで雲や周辺の景色が立体的に見ることができます。

正直博士は、昭和初期という早い段階で写真や映画の技術を雲と気流の研究に用いたパイオニアであり、正直博士の残した写真や映像は気象学のみならず、写真や映画の分野でも注目されています。

風信器用自記器及び阿部式自記ペン

解説

阿部雲気流研究所では、温度、湿度、風向風速などの気象観測も行われていたので、様々な気象観測機材が残されています。

風信器用自記器は、風向を自動的に記録する器械で、記録用紙を取り付けた中央のドラムに風向きの波形を記録されるようになっています。この器械には、記録用紙の繋ぎ目にペン先が引っかかってしまうという難点がありました。これを解決するための正直博士が発明したのが「阿部式自記ペン」です。風信器用自記器と一緒に、使用状況などの記録が付された阿部式自記ペンのペン先(金属製の円盤)が保存されており、研究熱心な正直博士の人柄が伺えます。

問い合わせ
御殿場市 教育部 社会教育課 
TEL:0550-82-4319
mail:shakyo@city.gotemba.lg.jp
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