[政治家]西園寺公望

西園寺公望(さいおんじきんもち)政治家

解説

父は幕末の公卿・徳大寺公純で、西園寺家の養子となります。青年時代は望一郎、陶庵の号も用いていました。戊辰戦争に山陰鎮撫総督、会津征討越後口大参謀として従軍し、フランス留学や、中江兆民らと創刊した『東洋自由新聞』の社長就任を経て、政治家への道に進み、明治39年(1906)第1次西園寺内閣を組織します。大正8年(1919)パリ講和会議全権を務め、その功で公爵となりました。山形有朋、松方正義らと共に元老として活躍し、彼らの死後は昭和前期ただ一人の元老として、摂政裕仁(昭和天皇)の諮問に答え、内閣交代に際して首相の推薦にあたりました。元老として活躍していた大正11年(1922)に新橋の便船塚に、京都から大工を呼び寄せ、上新田(竈区)の小林家を移築し、別荘としました。公望の別荘は興津の坐魚荘が知られていますが、夏は御殿場の別荘を利用していたようです。

(写真:西園寺別邸)

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御殿場市 教育部 社会教育課 
TEL:0550-82-4319
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