[土豪]芹澤玄蕃

芹澤玄蕃(せりざわげんば)土豪

解説

神山から甲斐へ通ずる交通の要衝である茱萸沢宿の代官の地位を、駿河の大名今川氏の重臣葛山氏元から認められた、戦国時代(16世紀後半)に活躍した土豪です。茱萸沢の居屋敷・門屋19軒分の伝役・棟別役などの負担を免除され、茱萸沢宿で伝馬業を営む者の元締問屋を任されました。また、氏元から、古沢の市で商いをする者が、茱萸沢・二の岡前・萩原の3ケ所を通らない者を見つけた時は、荷物を没収するよう命じられたり、甲斐に送る塩荷の輸送禁止令を受けて、その監視と実行を竹之下の鈴木若狭守、神山の武藤新左衛門尉とともに命ぜられました。しかし同時期には、氏元と敵対する甲斐武田氏の家臣、郡内の小山田信茂から、氏元から受けてきたとほぼ同様の特権を認められ牧場も貰うなど、いち早く葛山氏から離れ、武田‐小山田というより強い支配者の傘下に身を置き、自分の立場を守り有利に動いています。元亀2(1571)年、武田信玄が北条氏が守る深沢城を攻撃し攻め落とすと、御厨地方は武田氏の支配するところとなり、天正4(1576)年に玄蕃は勝頼から棠沢郷宿(茱萸沢)の伝馬掟の命令を受けます。さらに、天正7(1579)年には「対馬守」の受領名を許され、よりはるかに高い地位と栄誉を与えられました。

(写真:北条氏政感状(文化財のしおり第7集御殿場の古文書より転載))

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