[実業家]伴野佐吉

伴野佐吉(ばんのさきち)実業家

解説

伴野佐吉は、天保10年(1839)に市内清後に生まれました。16歳で東口(須走口)から富士山に登り、このときに子供や女性でも登りやすい新道の開発が必要と痛感したことが、後に成し遂げる大事業の発端となります。

その後、江戸の薬種問屋へ奉公に出て32歳で帰郷、明治5年(1872)に富士屋不老館を経営する伴野家に婿入りし、地租改正に伴う測量作業に従事するなかで、富士山への近道を発見します。そこで、新道開発の請願を再三にわたり県庁へ提出しますが、許可されませんでした。

明治14年(1881)に登山者から通行料(道銭)を徴収しない形で再度、願書を提出したところ、明治15年(1882)に開通許可が下りようやく工事に着手、明治16年(1883)に市内御殿場を起点とする東表口(御殿場口)が開通しました。明治22年(1889)に東海道線が開通し、市内新橋に御殿場停車場が開設されると、御殿場停車場を起点に富士山頂を目指す登山者が増大したことから、伴野佐吉は明治23年(1890)に登山道の順路変更願を提出し、明治25年頃には御殿場駅・新橋浅間神社を起点とする今の御殿場口登山道に継承されるルートが成立したようです。

伴野佐吉は、富士山における近代登山の幕開けとなる御殿場口登山道を開いた郷土の偉人です。

御殿場口開鑿記念碑

問い合わせ
御殿場市 教育部 社会教育課 
TEL:0550-82-4319
mail:shakyo@city.gotemba.lg.jp
Top