[教育者]冨原 薫

冨原 薫(ふはらかおる)教育者、童謡作家

解説

冨原薫は、市内御殿場の仲町にあった真教寺(浄土真宗)の住職冨原芳含の次男として、明治38年(1905)に生まれました。静岡師範学校卒業後、北駿地域の小学校で教壇に立ちながら詩を作り『児童文園』などに発表を続け、昭和9年(1934)の「富士山御殿場音頭」に始まり、「早おきどけい」や代表作となる「兵隊さんの汽車」などを発表しました。昭和16年(1941)には、深山芳香の名で大日本青年団歌の作曲に応募し当選しました。

「兵隊さんの汽車」は、NHKが第二次大戦終戦後の昭和20年(1945)大晦日に計画した紅白音楽試合で川田正子が歌うこととなったが、「兵隊さん」や「万々歳」という言葉が織り込まれた戦時童謡であったため、NHKから依頼を受けた冨原薫が歌詞を変更し、今日まで歌い継がれる童謡「汽車ぽっぽ」が誕生しました。

「汽車ぽっぽ」御殿場市中央公園の歌碑
「汽車ぽっぽ」御殿場市中央公園の歌碑

また、「富士山御殿場音頭」は、東海道線の沼津-国府津間が丹那トンネル開通により東海道線からローカル線に格下げとなったことから御殿場を改めて宣伝するために冨原薫が作詞し、東京音頭でも知られる中山晋平が作曲と振付をしました。後に「御殿場音頭」と名を変えましたが、現在も踊り継がれています。

問い合わせ
御殿場市 教育部 社会教育課 
TEL:0550-82-4319
mail:shakyo@city.gotemba.lg.jp
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