解説
約1,500 年前に富士山御殿場口新5合目にほど近い「赤塚」「馬ノ頭」から流れ出した印野丸尾溶岩流に形成された複合溶岩樹形という種類の溶岩洞窟です。溶岩樹形とは、溶岩流に飲み込まれた樹木の形が空洞として残ったものです。全長68mの狭い地下空間は、市民には御胎内の名で親しまれ、市内の幼稚園や保育園、小学校の遠足の定番スポットにもなっています。
江戸時代は、村山の法印(修験者)がここで修行したそうです。印野本村の光真寺に祀られている子育て不動明王は、元はこの御胎内に祀られていたそうです。また、内部には現在も石造の祠が複数祀られていますが、そのうちの1つは江戸の丸谷講が奉納したものです。富士山周辺には、御胎内や胎内の名を持つ溶岩洞窟が複数あり、それらは富士山を修行の場とした修験道や富士講との深い関わりを持っています。
厳冬期には氷柱や氷筍が見られます。少し離れた字丸尾にも飛び地の指定地があり、見学路と説明板が整備されています。