[県史跡]深沢城跡

史跡 深沢城跡(県史跡:昭和35年(1960)2月23日指定)

解説

深沢城は、江戸時代の地誌等では今川氏の築城とされていますが、確固たる証拠はありません。後北条氏関係の史料には、永禄12年(1569)に「深沢と号す新地」という記述が見られ、同年に後北条氏が築城した可能性が高いです。この城は中世以前の東海道に面し、交通の要所「竹之下」にも近いことから、駿河・甲斐・相模の境目の城として武田氏との間で攻防戦を繰り返しました。元亀2年(1571)正月、武田信玄に包囲されていた城主北条綱成は世に有名な「矢文」を受けて開城、後北条氏はこの城を失いました。松代藩真田家に伝わる「地黄八幡の旗印」は、この戦に従軍していた同家に武田信玄が与えたものと伝わります。

以後、武田氏の支城となりますが、天正10年(1582)の武田氏滅亡により武田方は城を焼いて退去したと伝わります。天正12年(1584)には小田原への備えとして徳川氏が三宅康貞に守備させましたが、後北条氏滅亡により役目を終え廃城となりました。従来は武田氏の築城術を色濃く残す城と説明されてきましたが、近年は徳川氏による大規模改修の可能性も指摘されています。

指定地内は民有地が96%を占め、水田や山林として利用されています。城の区割りの中に耕作地が収まっていることから、堀などの防御施設が当時の形状を残しており、地権者の協力により保全が図られています。

 

問い合わせ
御殿場市 教育部 社会教育課 
TEL:0550-82-4319
mail:shakyo@city.gotemba.lg.jp
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